福岡と博多

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1889年4月1日「市制及び町村制」の公布により博多・福岡に於いて市制を施行しようとする際、市名を「博多市」とするか「福岡市」とするか、博多と福岡の間で大論争が巻き起った。(中略)
「福岡市と博多市を分離独立するべき」など極端な論調まで飛び出すもののまとまらず、翌年3月、県令により博多・福岡をまとめて1つの市として発足させることとなり、市名を「福岡」とすることになった。(中略)

福岡市としての発足のさいに仲裁案として同年に開通することになった九州鉄道の駅名を「博多駅」とすることによって県は議論の決着を図ろうとした。(中略)

しかし駅名による決着に納得のいかない博多側の議員が翌1890年に市名を「博多市」と改名する案を提出。議員数は博多側17人・福岡側13人であったが軟禁等妨害工作によって票は13対13の同数に割れ、結局、旧福岡藩士であった不破国雄議長の一票(議長席を降りて一議員として投票)によって否決された。

軟禁等妨害工作だとか、なんか熱いです、博多っ子。ってか、時代がそんな時代だったのか。